「足枷」について少し考えた。

思い返すと、

家族や、恋人や、仲間でさえも、

昔は無限にあるんじゃないかと思っていたそういう足枷が、

今、足元に、ほとんど無いことに気づく。


「足枷」はできるだけ少ない方が、

人生はストレンジでおもしろい。

それでも、

人は自由という刑に処されていると、サルトルが言ったように、

すべての足枷を引き千切った時に、

人が本当に絶望する時なのだろうと、本能でわかるから、

時々、どうしようもなく素直に、畏怖を感じて、

細い細い糸で、繋いで生きてきたのだろうと、振り返る。


俺の足枷は、

もしかすると、引き千切ったわけではなくて、

ちょっとした魔法のような哲学と純情な感情で、

なにかトランポリンのようなものに、変幻したのでは無いか、と考察する。


足枷によってアイデンティティが形成されて、

それが今まるでトランポリンのようなものに昇華して、

高く、飛翔させてくれるから、

そのすべてに、日々、

お前たちがいなければと思えることほど今幸せなことはない。


だから、細く細くでも、お前たちも繋いでくれるなら、

決してそれは「足枷」ではなく、

俺はトランポリンになりたい、と、

願います、

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